茶の起源
 茶の起こりは紀元前2700年頃の中国に古くから伝わる神話:中国の伝説上の帝王で漢方薬の神様として伝えられる「神農」が薬草を探しているうちに毒にあたり、茶を喫してこれを癒したと伝えられています。また、もう一つの伝説として:インドには禅で有名なダルマが、修行のために海を渡り中国へ入り、崇山の少林寺にこもり、9年間にわたる座禅の修行に入りました。3年目に強烈な眠気に襲われたときに頭上にお茶の葉が被さってきたとき、その葉をかじってみるとたちまち眠気が去ったというのです。そのダルマがこの葉を広めたとも言われています。また、茶について書かれた書としては、780年代,唐の文人であった「陸羽」が茶の栽培、用途、茶具、飲み方、効用などの解説を全三巻にまとめた茶書「茶経」が有名で、今日まで伝えられています。この書によって世界各国に茶が知らされ広がっていきました。
 
 中国での飲茶
 6世紀末の文帝はお茶をこよなく愛したと言われ、お茶を飲む習慣は、このころより大流行しました。唐の時代になると、長安には茶店が流行り一般庶民の生活にも根付き、やがて中国で広がった茶はアジアの国々へと伝わっていきました。
                                                                                                                  Tea  Bowl
 茶の伝番
 茶の起源は中国が発祥であり、南西部四川省あたりに始まったと言われています。Tea Bowl
伝番の経路には
 * 馬、牛、ラクダの背に乗せられ村から村、そして国々へと陸路から伝わったもの
 * ポルトガル人やオランダ人など、海から乗り込んで来たヨーロッパ人が海路を使って伝えたもの
の2つのストーリーがあります。そのため茶の呼び方には、広東語の「チャ」が陸路から伝わって語源となった「CHA(チャ)」そしてもうひとつが福建省の廈門語に端を発し、これをオランダ人が「THEE(テ)」と読んで海路からヨーロッパ諸国へと伝えられた「TE(テ)」と、大きく分けて2つがあります。
 
 中国→日本へ
遣隋使によって大陸文化と共に日本へ茶がもたらされました。その後は平安時代の805年に渡航した日本天台宗の開祖最澄(767−822)が茶の種子を持ち帰り、806年には空海(774〜835)が種子と茶の製法を伝えたと言われています。鎌倉時代に入ると臨済宗の栄西禅師(1141−1215)が宋から茶の種子を持ち帰り京都に植えて栽培に成功。安土桃山時代に千利休によって開かれた茶道が代表するように飲み物と言う域から、より精神的な文化にまで昇華されていきました
 
 日本→ヨーロッパへ
16世紀初め、ポルトガル人が「茶の習慣」を知ったのがヨーロッパに伝わった最初と言われています。日本に布教活動に訪れた宣教師達が武士や商人の生活、風習を伝える中に、日本の茶の文化も含めて持ち帰ったのです。それは、今日イギリスにも伝わる紅茶習慣や作法の様々な点で日本の抹茶や煎茶の飲み方が模倣され残っています。
17世紀中期、貴族の間ではカップに注いだ紅茶をわざとソーサーに移して、ズズッという音を立てて飲んだり、また把手のない東洋のカップを使ったりと東洋嗜好が強かったことをうかがわせます。

 
 
 ヨーロッパへの伝番
ヨーロッパで初めてお茶の記録を記したのは、ベネチアの作家ラムジオでした。またポルトガルの宣教師ダ・クルスは中国を訪れた後にお茶について語っています。そして16世紀中期より、日本の茶の文化の数々も伝えられていくことになります。16世紀後半に入って、千利休が完成させた「茶道」にも本格的に触れた人々は、その神秘性と儀式的な作法に強く影響を受けたことでしょう。16世紀から17世紀にかけては大航海時代でした。東洋への航路を開拓したのはポルトガル人で、彼らは東洋の宝物や特産品、中でも絹や香辛料などを自国に持ち帰りました。そのころ勢力を持っていたオランダも東洋の品を発見して絹から香辛料、そして茶をと持ち帰ったのです。1,609年、オランダ東インド会社の最初の船が平戸に来航し翌1,610年平戸を出航した荷の中に緑茶が入っていたと言うのが、ヨーロッパ大陸に最初に持ち込まれた茶の現物だと言われています。17世紀初め、オランダに持ち込まれた茶はオランダを経てヨーロッパ各国に広められイギリスに入ってきたのは1,630年頃だと考えられています。その後、オランダの勢力が衰え、イギリスが東洋貿易の実験を握る18世紀から本格的なイギリスの「茶文化」が花開いたと言えましょう。

 

Boston Tea Party